ありのままを実践する理由

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ありのままが理想なのはわかるけど、現実的には相手に合わせて自分を作ることもあるよね。

って、思っている人が多いと思います。

もちろん、作る気がなく自然と相手によって変わるのは、普通のことです。

でも、努力して相手に合わせられる人を目指すのはやめました。

私のようなKYタイプの人が、空気を読むことを諦め、あえて空気を読まないことで人生が開ける理由を書いていきます。

目次

メッキとありのままの違い

メッキありのまま
正解探し。
せっかく無理してメッキをつけるので
不正解では困る
相手にどう思われるかよりも、自分の美学で言動を決める
同じ正解を信じている人と強くつながり合う「人によって見えている世界は違う」と
理解している人が集まる
会話を重ねることで相手の価値観を理解し、お互いに正解を提供し続ける

間違いから学べる

ありのままでいるということは、転ばぬ先の杖を取り払うことです。

私も、昨年からありのままの言動を意識して、数々の失敗をしてきました。

失言などです。

ありのままで過ごしてみると、すぐにメリットがありました。

いつも笑顔で話せて、会話が弾んで、相手との距離感が縮まります。

でも、デメリットもあります。

楽しくおしゃべりして、お家に帰った後「あの発言はまずかったかな」と反省することがあるのです。

本当の成長は、感情を味わってから起こる

反省の感情を味わうのは、気持ちいいものではありません。

でも、自分の価値観を教えてくれるのは、感情です。

正解を世間に求めて、マナーなどの知識をコレクションしていても、何を取り入れたら良いのかわかりません。

人によって厳しさが違ったり、中には逆の行動を良しとしている人たちもいます。

他人が作った正解に囚われていると、自分の時間が浪費されてしまいます。

それよりも、まず自分の気持ちに正直に行動してみて、自分の感情が間違いと感じたらそれを受け入れればいいのです。

意識的に覚えておかなくても、感情で学んだものは自然と避けていき、どんどん心地いい自分になっていきます。

メッキだと無数の失敗、ありのままだと一つの失言で価値観が見える

ありのままを隠して、「こうした方がいいかな?」と考えてやったことで失敗しても、

「私には『普通』がわからないから、間違えてしまったんだ」と、すぐには改善できないことに無力感を感じてしまいます。

常に「普通の人がいいそうなこと」を言ってみても、続けているとストレスがかかってボロがでたり、

実は真似してはいけない言動をかっこいいと勘違いして、失敗したこともあります。

実は「真似をしてはいけない言動」なんて星の数ほどあります。失敗例を積み重ねても成長は程遠いのです。

ありのままを出して失言した場合、「こんな偏見を持っていたのだ」との気づきに繋がり、成長につなげられます。

成長とは、自分らしくユニークになっていくこと

植物は、芽が出たばかりの頃は、あまり種類による違いがはっきりしません。

フタバが出るタイプの植物だけでも、幾つもあります。

成長すると、一目見て「ひまわり」だとわかったり、特徴的な形になっていきますよね。

実は、人間もそうなのです。

赤ちゃんの状態で生まれてきて、大人たちに育てられながら成長する。

若い頃は、親の価値観や、世間の常識を自分の価値観だと思い込んで順応しようとします。

人生は長いですから、どこかのタイミングで窮屈に感じて、自分らしさを追求しはじめると、またぐんぐん成長しはじめるのだと思います。

メッキをしていると、成長が妨げられる

ユニークになっていくことが成長だとするならば、ありのままを隠して周りに合わせることは、成長をストップすることになります。

自分の美学を信じる

人に命令された通りにやっていれば、何の責任も取らずにすむ。というのは、恐ろしい幻想です。

オウム真理教や、ナチスドイツの一員として評価されるために、一生懸命兵器を作って使用した人は、捕まって罪を問われています。

その人たちに必要だったのは、周りの価値観に合わせて行動するよりも、人間としての生まれ持った道徳心に沿った視点を持つことです。

環境にどっぷり浸かると、自分を信じる視点を持つのは難しいことです。

それでも、人間としての善悪の視点を捨ててはいけません。

前提になる考え方

ここまでに書いた話で、前提になっていることがあります。

人間は生まれた時から、誰に教えられなくても、美しいものを美しいと感じる眼をもっている。

私は人は真っ白な状態で生まれてくるわけではないと考えています。

若い頃は、人間は生まれた時は真っ白、ゼロの状態で、そこから見聞きしたことで性格が決まっていると思っていました。

そう信じている人も多いと思います。

歳をとって学んでいくうちに考えが変わりました。

ひまわりの例に出したように、歳をとるにつれて自分らしく本来の姿に帰っていくのです。

そうだとすると、種にプログラムされているように、人にも生まれ持った個性があるということになります。

まとめ

私がありのままを実践する理由について書きました。

  • 成長することはユニークになっていくことだから
  • 外に正解はなく、自分の感情に導かれた方が心地よい選択ができるから
  • 周りの価値観に従うのは不安定で、自分の美学の方が信じられるから

感情のフィードバックを使って修正をかけることは、自然とでき、どんどん心地いい自分になっていきます。

外に正解を追い求めるより、自分の感情に注目する方が前に進めるという考え方は、とても安心感があります。

つい感情に注目するのを忘れてしまうこともよくあります。

本などで本質的な考え方を取り入れながら少しずつ実践していきます。

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